おはようございます
昨日あるところで無能な上司が多いわけというのをみました。

詳細は割愛しますが、例えば課長職が有って、そこに留まり続けているのは、その上位職になれないからで、
有能なら課長に留まっていないからというもの。

なかなか乱暴なご意見で。(^▽^)

万年課長ならあり得るかも知れませんが、中間管理職もトップになるまでのステップバイステップの途中とするなら、階段の踊り場にいる時期も必要なわけですし、中小企業なら、トップは経営者一族が占めるのが常套ですから、万年〇〇は普通にあり得るわけです。

では、トヨタ自動車の取締役は社長になれないので取締役として無能かと言うとそんなことは無いわけです。

私見および仮説ですが。

私が最初の会社で実質最初の上司だった係長から言われたのは、「どうしましょうって意見具申してくるヤツは使えない」って言われたこと。

少なくとも、自分で考えて解決案を3案くらいは用意して意見具申しないと、さらにお勧め案はどれかが言えないと仕事を考えて居ないヤツだって言われました。
全くその通りで、いたく感心して、そのようにしてきたつもりです。

次の猪突猛進タイプの上司からは、A案B案C案もってこい。って言われました。
できる上司は、そのような考え方と実践をされているようです。

それからしばらくして、部下と呼べるような人達を束ねる事になりました。何しろ、自動車産業はバブルに入っていましたから、毎年倍々ゲームで仕事も人も増えていく。あっという間に部下がたくさん状態です。

そこで、ふと思ったのは、頭のいい人、良い大学を出てきた人に少なからず「どうしましょう」って人がいることが気になり始めました。
「じゃあ、君はどうしたら良いと思う」って逆質問すると黙っちゃう。


色々原因を考えるに、どうも、世の中の事象にはあらかじめ答えが用意されているものなのだと条件付けされているような感じです。
これは日本の教育が「先生の用意されている答えを当てに行く作業」をせっせとしてきたためでは無いかと思います。受験も突き詰めてみれば、暗記作業と用意された回答を当てに行く作業。
賢いと言われている人達の少なからずにそういうことだけに能力が長けている人がいるようだと分かったのがこの時期でした。

世の中の事象や仕事に正解はない、有るのは次善ってことが理解できないようです。
「私も分からないよ」って言うと、不思議な顔をするのですね。

日本の教育の光と影ですね。

「どうしたい」、「自分ならどうする。だからこうしたい」って人が少ない。
企業は組織活動ですから、決められたことは守る必要があります。
これを企業内統制と言います。

しかし、そうは言っても次善の策ですから、自分ならこうすると言う考えが合っても当然です。
上司に聞かれれば、また、自分が実行部隊を任されればそれを出すことも必要です。

だから上司の答えを当てに行く部下でいる間は優秀でも、上司になるとそうはいかないから無能になるってことかなと自分なりに思います。
あくまで仮説だけどいかがでしょうか。